金麦を飲む

無職になったので、日記をつけようと思います。

無職日記 太ももを殴る

昨夜、久しぶりに脳天かち割れるレベルの悔しさに見舞われた。

 

それはスナック勤務の最中に起きたことで、時間は0時を少し過ぎた辺りだった。

あまりに悔しかったのと、単純にトイレに行きたかったのとで、私はトイレへ行き、自分の太ももを殴った。

静かに二発、殴ったあとで、気持ちを落ち着かせるためにもう一度手を洗う。正確に言うと、手を冷やした。頭も冷えるようにと願いながら両手を流水にさらした。

 

冷たい水に濡れる手を見ながら、そういえばかつて、これ以上ないというほどに自分の価値を否定され(たような気になって)、悔しさに打ちひしがれていた頃、こもっていたのもトイレの中だったと思い返す。

それはもう約15年も前のことで、そう思うと何も変わっていないのだなとげんなりしながら、深呼吸をしてトイレを出た。

 

 

仕事、恋愛、あらゆる場面に障壁はある。

その障壁に対して、絶対に乗り越えてやると情熱的に思うこともあれば、乗り越えざるを得ないという状況に立たされ否応なく、ということもあると思うのだけど、いずれにせよ私はいつも思う。

どうしてもつらいのなら、それはあなたのやるべき仕事じゃない。

 

何がそんなにつらいのかを紐解けば、そこに何かしらの問題があることが分かる。

問題が分かれば、解決方法を考える。

解決方法が分かれば、次に考えるべきはその方法が実現可能かどうかで、ここのところで不可能だったりすると人は堂々巡りというやつに陥りやすい。


すべてのことは本当のところシンプルで、複雑にするのは、面白い方向だけにしたい。


実現可能なら実現すればいいし、実現不可能ならそれはもう不可能なので、新たな解決方法を採った方がいい。

可能か不可能かのところに「努力」が加わってくるようなことだと話がややこしくなりやすいけれど、これもきっと努力してみたら分かることで、その努力が「どうしてもつらいなら」自分のやるべき仕事じゃないのだと思う。


 

柄にもなく大風呂敷を広げた後で、ごく小さなスナック店内での話に戻す。

私は昨夜のスナック勤務で、ほとほと嫌気がさしていた。

つらい理由が特定の顧客なのであれば、働いている仲間に相談した上で、他の人に接客をお願いする、などが解決の一つになると思う。

または、店員の誰もが嫌がるような顧客なのであれば、店長/オーナー/ママ等に相談するべきだろう。

しかし私にとっての問題はその店の顔であるママなので、これはもう解決策としては「ママに改めてもらう」もしくは「私が辞める」の二択しかない。

 

というわけで長々と書いたものの、要はスナックを辞めようと思っているということだけで、こんなことを今朝目が覚めてからずっと考えている。

 

今日は夕方から世田谷の方で無償の仕事なので、それまでにシャワーを浴びて冷静になりたい。

無職日記 なんのゆえかの

今日は元恋人と遊んだ。 

別れたのは9ヶ月前くらいで、別れて以来会ったのはおそらく二度目だった。
一度目は向こうから誘われて、ナンおかわり自由のカレー屋に行って、ナンの語感でずっとけらけら笑っていた。
お互いが帰りやすい駅まで少し歩いて、その駅のホームで、私の乗る電車が来た瞬間にぎりぎりで手をつないだ。
電車が到着したのでスッと手を離し、私は電車に乗り、そのまま数ヶ月が過ぎての今回。

二度目の今回、食事をすることになったのは向こうからの申し出で、何やら仕事がひと段落して「会いたい人に会おうと思った」らしい。
そんなことを言われてももう大人(アラサー)なので、はいはいと思いながら「おーそうだねーいいねー」みたいな感じで返しての今夜だった。

ご飯を食べようと新宿駅に集まりつつ、少し早い時間から会うことになったので、あんまりお腹が空いておらずとりあえずルノアールに入った。
そのまま2時間ほど話していたら小腹が空いてきたので、回転寿司がちょうどいいのではということになり、向かう最中で、西武新宿駅近辺のストリートでめちゃくちゃかっこいいファンクをやっているバンドに出会う。
思わず立ち止まり、感情の赴くままに「うわかっこいい」などと言っていたら、パフォーマンスで集まってる人だかりの中心を、超絶急いでいたらしいサラリーマンが俊足で駆け抜けた。
あまりの速さに、見ていた人たちも「今の何?」という雰囲気で呆気に取られていた中、私と元恋人とだけがツボにハマってずっと笑い続けていた。
彼は笑い過ぎて、私に寄り添ってなんなら若干泣いていた。相変わらずアホだと思って安心した。


そのあと、冷房が苦手でお腹が弱い彼の提案で、コーヒーを買って外で飲みながらゆるゆると話した。
今夜は素晴らしく過ごしやすく、Suicaペンギンの銅像やらなんやらが建てられた駅チカのその場所は風がよく通った。
こんな場所ならいつまでもいくらでもいられるとか、こうしてぼんやり涼んでいるのはすごく夏っぽいとか、そんなようなことをぼんやりと話していた。
私は無言の時間も好きなのでちょうどよく、ただ、付き合っていた頃の彼はとてもよく喋る人だったので、無言になるのは大丈夫なんだろうかと思いながら、私は私のぼんやりしたさを優先した。と言うのは、嫌な無言ではないことが分かっていたからでもある。

まったりしていたらお互いに眠くなり、テイクアウトのコーヒーも早々になくなって、駅に向かった。

私と彼とは同じ路線ではなく、私の乗る路線の改札前で「じゃあまた」と言うと、彼は「うん、また」「今日はありがとう」「楽しかった」と言った。
おう、と思いながら「そうね、うん」と言うと、彼はささやかに「また遊ぶ?」と聞き、私は同じく「そうね、うん」と返しながら改札へ向かった。

「また遊ぶ?」って、なんだよソレ、と思いながら、まあそれでいいのだと思う。
私の隣には今、誰もいないし、彼の隣にも今、誰もいない。
それでいて私たちはお互いにあと一歩を踏み出さない。
お互いのことをとても分かっているゆえに、お互いに、その選択をしている。

ただ告白をするとか、ただ抱きつくとか、そういうことがもうできない関係で、それでも「また遊ぶ?」とか言ってしまう彼の素直さが嬉しくもあり、せめてもの抵抗でテキトーそうに返事をするのは私の、なんのゆえかの精いっぱいだった。

無職日記 カツカレー

今朝目を覚ました瞬間、早起きしたぞと思った。

時計を見て確かめると、9時で、それほど早起きというわけでもなかったなと思いながら煙草を吸った。

昨夜、近所の映画館で観た映画を思い出した。褒め言葉として「性格が悪い」としか言いようのない映画で、なかなか好みだった。


そのあと、どうしてもカツカレーが食べたくなり、ふらふら出歩く。

が、すぐに財布に300円くらいしか入ってないことに気づく。面倒だなとコンビニでお金をおろしかけるも、せっかく平日の午前なのだしと思い直し、手数料がかからないように銀行でお金をおろした。

オンボロの格好で駅前まで行くと、今まですれ違ったこともなかった、同じ街に住んでいる女性に会って声をかけられてしまうという失態。

白いキャップを目深に被っていたのだけど、まさにそのキャップに見覚えがあったという。午前10時の街は気が抜けないと知る。


その後、前職で入っていた保険のことを調べると、退職後20日以内であれば継続利用ができる旨が書いてあった。

6月末で退職しているので、継続するには今日か明日に手続きが必要ということになり、国保とどちらがいいのか調べていたらあっという間に昼になる。カツカレーは食べ終えた。


先日伺った素敵な家が忘れられず、自宅でぼんやりしていても、つい、部屋のあちこちにその家を見てしまう。

私の好きな青色や白色の布が掛かっていた。あんな布がほしい。そう思うよりも前に、片付けないといけないものがたくさんある。昨夜もずっとそのことを考えていた。

自分の部屋が好きな場所にならないと、きっと私の生活は変わらない。仕事云々ではない。


果たして自分は何が苦手なのか、何が快適な生活を阻んでいるのか、まずは正直になることからだなと思って考えてみると、私は服をたたむ・しまうのが苦手なのだと思い至った。

たたんで、着て、洗って、干して、乾いたらまたたたむという一連の行動を思い浮かべると、洗う・干すは億劫じゃないのに「たたむ」という段階でどうしても腰が重くなる。

意を決して、洋服をハンガーにかけて収納することに決めてみる。そして無印ニトリIKEAやらなんやら比較して、無印で買うのが一番安上がりになりそうだという結論が出た。


このままじゃいけない、と思うことがいくつもある。

職探しもその一つだし、今やっている仕事についてもそうだし、無償の仕事についても思うところはある。

私はつい暴走することで物事を進めようとするところがあって、それは確かに事を動かすけれど、自分で自分を置いてけぼりにすることになったりする。走る自分と置いてけぼりにされる自分がどんどん乖離する。


走りながらしか考えられないと思っていたけど、この辺りで一度、きちんと整えることも多分大事なんだろうと思う。

そういったものを一つずつ直していくことができたら、少なくとも今よりは、自分と付き合うのがマシになると信じたい。


無職日記 結婚できない人と7月の吹雪

今日は9時半に起きた。
先週の金曜日、PCで履歴書と職務経歴書を作って2社に送った。
そのうちの1社は、送るかどうするか数週間迷っていた会社だった。それなりに緊張しながら送り、さてどうなることやらと思っていたけど、そういえば世間は三連休だったので、連絡はまだ来ていない。

昨日の夜、買ったばかりの赤いワンピースを着て、家でごろごろしていた。
ら、同じ街に住んでいる知り合いから飲みの誘いが来て、それじゃ30分後にという話になった。
その人はただ近所に住んでいるだけの飲み友達、知り合いで、そんなに話が合うわけでもないけど、合わなくもない。共通の話題もそこそこある。仕事の話もまあまあできる。
その人にとって私じゃないといけない瞬間というのはなく、私にとってその人じゃないといけない瞬間というのもない。
こんなにも代替可能な同士で会うために夜の風に揺れる赤いワンピースを、冷ややかに見下ろしながら、待ち合わせた駅に向かった。

35,36歳くらいかと思っていたら41歳だったその人は、独身で、販売系の仕事をしていて、休みが月に2回しかないらしい。
「ちょっと一杯」という時に私に連絡してしまうくらいなので、おそらく恋人はいないのだろうと思う。

この人を見ていると、いい人だからと言って結婚できるわけではないのだなと思い知らされる。
顔もそれなりによく、スーツの趣味もそれなりによく、性格も明るく、嫌みを言うような人間でもない。人を傷つけなさそうな人だ。結婚願望はあるらしい。
私には、この人が結婚できない理由が分からない。
話を聞いていると、出会いがないようなので、それに尽きるのかもしれない。
人と人が付き合うには、出会いと、何かしらのアクシデントがなければ難しい。(告白なんてアクシデントも甚だしい)

そういえば先日、人生で初めてハウス系のクラブへ行った。どうも有名な箱らしかったけど、そういう系統の音楽に疎い私は、知らなかった。
音楽のボリュームが上がり、サァーっという効果音が入り、ビートを刻む音が細かく増し、照明がチカチカして「最高潮やってきました高まってます」感のある空気が作られ、来るぞ来るぞ、と思うと、案の定来る、そして盛り上がる、という、正直者の音楽に体を合わせていると、自分まで正直者になったようで不思議なうれしさがあった。
トイレを覗くと、あからさまに空気が澱んでいて笑った。

そのあとくたびれた若いサラリーマンに声をかけられ、取材半分な気持ちで話をした。
嘘が下手で、優しそうな青年だった。
みんな幸せになってくれよと思いながら、そんなこと言えた立場かと致命力3割増でブーメランが返ってくる。
天井に吊るされたミラーボールはあまりに大きくて、その割に反射面があまりに小さかった。梅雨真っ盛りの7月、クラブハウスの空間中を照らす光が細かすぎて吹雪みたいで、逆にロマンチックだった。

無職日記 18日目

今日起きた瞬間、あーこれはやってしまった、と思った。

ここ数日喉が少しおかしかったのだけど、完全に風邪を引いたようだった。
明日は朝早くから無償の仕事なので、このままではいかんと思い、カレーを作って食べる。それは昼前くらいの食事だったけど、これだけでは飽き足らず、夕方にセブンイレブンのカレーを買ってきて食べた。カレーはいろんな栄養が入っているので風邪の時にいいと、どこかで読んだような気がしていたからだった。

昼にも夜にも薬を飲んで、小瓶のルルも飲んだ。
どんどん体調がよくなっているので、このまま明日には完治するだろうと思う。
私はすぐに、薬に頼る。

夕方、少し仕事をした。
ひとまず確認の連絡を投げてから、完全に忘れていた履歴書作りを済ませ、ついでにと職務経歴書も作って、サクッと2社に送った。
1社は、なぜか応募するのをずっとためらっていた会社だったのだけど、迷うということはやりたいのだと、また私の中の岡本太郎がやいやいうるさくしたので、送った。

そのあと、いただいたお花に元気がなくなってきたので、ドライにしようと思い立つ。
花や草の種類ごとに分けて、茎を輪ゴムで止めて逆さに吊るす。
どうして逆さに吊るすんだろうと思ったけど、花屋なんかでもこうしているしおそらく正しいんだろうと適当にやった。

先日、無償の仕事で伺ったお宅がとても好みで、こんなふうにしたいなという曖昧な気持ちを具現化したような場所だったので思わず結婚したいと思った。
その人のお家には、木の枝やドライフラワーがあちこちにあり、うまいなと思ったのは冷蔵庫などの家電の周りに植物を掛けていたこと。なるほど、これがおしゃれインテリア系雑誌でたまに見かける「無機物の周りに有機物」というやつか、と思ったけど、そんな法則、本当に見たのかどうかは知らない。

無職日記 13日目

昨日は日記をサボった。
朝7時くらいに起きて外出して、数日前と同じ「無償の仕事」をして、終わってからはお酒を飲んで、帰宅ののちそのまま寝ていた。
なぜ人は、早起きで体も疲れている時にこそお酒を飲んでしまうのか。
こういう時、サクッといいお酒を飲んでチャッと帰れる自分になりたい。道のりは遠い。

 

1〜11の数字を書いて、その横に思い出す人やら曲やらを書く、という心理テストをやってみた。
中高生の頃にもやった記憶があるけど、やり方も結果も忘れていたので差し支えない。

今回やった結果を見ると、「この欄に書いた人はあなたの愛している人です」というのがあり、そこには、うんうん唸って考えた挙句「いない」と書いていたので、当たっているかもしれないと思った。

また「ここに書いた曲はあなたの今の心境を表しています」というのがあり、そこにはSPEEDのマイグラジュエーションと書いていた。当たってるも何も、よく分からない。

参院選に出馬している今井絵理子SNSなどでその話題を見かけるたびに「ずっと忘れっない」「離れてもくじけっない」と脳内で流れるのだけど、どう考えてもそのせいだ、と思いながら、念のため歌詞を読んだ。

すると「愛が芽生えたJuly」とあり、今はちょうど7月なので、愛ならばいくらでも芽生えてくれと思った。

 

冒頭とは別の仕事の締切に追われながら、確かこの日記の1日目に書いた、既婚のマメなエンジニアから突然「aiko好き?」とメッセージが来ていた。そういえばこの人はaikoが好きだった…っけ?と、だいぶ曖昧な記憶がちらりと顔を出した。

少し前に菊地成孔aikoへの長文ガチラブレター(だとしか思えないブログ)を読んだことと、直近、aiko好きの女性と知り合ったばかりでタイムリーだったこともあり「この10数年全く興味がありませんでしたが、最近少し気持ちが高まりつつあります」と正直に答えたところ、ライブに誘われた。

スケジュールを確認すると、行ける日だった。しかしかなり迷う。行ってみたくはあるが、お金を払ってまで行きたいかと言ったら、かなり微妙なところだ。

こんな時に、約一ヶ月ほど前まで付き合っていた恋人の家で、深夜、一人眠れずに本棚から取り出して読んだ岡本太郎の本の一節を思い出す。それは、リスクのある選択肢を前に迷っている時は、それがやりたいから迷っているのだ(だからやるべきだ)、という言葉だった。今回の私に当てはめるとすれば、好都合なのに迷っているということは、それがやりたくないから迷っているのだ、ということになる。つまりそれほど行きたくないんだろう。岡本太郎の言葉を借りなくても、2秒で気づくようなことではある。

 

そんなことを思いながら一応ライブの料金を聞くと、「6,500円くらいだけど退職祝いってことでいいよ」と来た。なんて気持ちの読めるaikoファンなんだ。

これも縁かと思い、「行きます」と返信した。aikoファンの思う壺だけど、まあ、見知らぬ愉快げな壺の中には入りたい。

ちなみにこのエンジニアは昔ホストをやったことがあるそうなので、心が読める云々はそうしたところで得たのかもしれない。マメさも。

 

このメッセージのやりとりをFacebookメッセンジャーで行っていたところ、ふと、見慣れないマークが目に入る。

南国さんのFacebookアイコンの右下に、何やらピンク色のマークがついていたのだった。

よく見ると、ケーキのような、ろうそくのようなそのマークを見て、もしやと思ったら今日は南国さんの誕生日らしかった。

気づいてしまったので、お誕生日おめでとうございますと送った。

数時間後「ありがとう♡」と返信が来て、ハートなんて送ってんじゃないよと返そうかと思ったが、せっかくの誕生日に水を差すようなことを言わなくてもいいかと思い直して、素敵な一年をお過ごしくださいとだけ送った。

無職日記 11日目

昨夜うたた寝して、23時頃に起きてから10時前まで起きていたら、そこから2時間ほど眠っていた。

昼に起きると、前職の後輩から、自分の送別会に関するお誘いが来ていた。

辞める前に自分から「辞めたあと私の送別会やりますよ」と言っていたので、自分主催みたいなもんだけど、まあ取りまとめてくれたのは後輩たちなので、とても感謝している。

と共に、「今、切実にほしいものってありますか?」と聞かれる。

これはどう考えても、プレゼント的なことなのだろうけど、どこまでほしがっていいやら悩んでしまった。「切実に」なんて言われたら、ちょっと期待しそうになってしまう。考えれば考えるほど「掃除機」「自転車」「夏の装い」「仕事」「愛」とかどんどんヤバい方向に行ったので、これはいかんと最近の自分の行動を振り返ってみる。すると、ちょうどカルディで水出しコーヒーポットを買おうかどうか迷った日があったことを思い出した。

調べてみると1,000円前後だったので、数日前の自分に、迷ってないで買いなさいよと思いながら、後輩に伝えるのもちょうどよさそうなので、買おうと思っているところだと伝えた。

かわいいかわいい後輩(年上だけどかわいらしい、1児のママ)からは「いいですね〜!それを買うのは、ちょっと待っててくださいっ(キラキラ)(ヒーローみたいな絵文字)」と返信が来て、最高に癒やされた。

 

前職の人たちはほとんどが「いいひと」だった。

優秀で気持ちのいい人もいた。優秀で、ねちょっとした人も、優秀でも無能でもない人も、浅はかだけどまあ適当に流しておけるような感じの人も、まあいたけど、そこそこよい環境ではあった。私のような雑魚でも、意見の言いやすい雰囲気があった。

 

チームの中でたったひとり、自分にとってどうしてもダメな人がいた。一応その人は私の先輩だった。

初めて会った時からうっすらと、ダメな気がしていたのだったが、長く一緒に働いていて最も信用していた人が辞めるという時、いよいよ「私はここにいられない」と感じた。

 

自分が辞める直前、お世話になった方と二人で飲んだ。正確に言うと、一人が遅れていたので、先に二人で飲んでいた。

辞めることに決めた本当のきっかけは?と聞くので、そこまで直接業務に関わるような人じゃなかったのと、二人っきりだしいいか、と思って、少しだけ話した。

なんで、無害そうじゃん、とその人は言った。実際には、全然無害じゃない。というかもはや存在がダメに近くなってしまっていて、私自身、誰かのことをそんなふうに思っている自分の状態は嫌だし、何よりチームにとってよくないと思って、辞めることを決めた。

なんて言ったらいいんだろう。視線のずらし方とかすれ違う時の妙な空気とかそういう「感じ」の部分と、毎回質問とズレたことを答えるとか、いわゆる報連相ができないとかの単純な「仕事できなさ」の部分と。最も嫌だったのは、口もとを触って何かを指でピンと飛ばすような癖(会議中もやるのが地獄)だったけれど、まあ挙げても仕方がない。

 

「無害そうじゃん」と言ってきた人には、上記のような具体的なことは言わなかった。

もし私がそんなことを言ってしまって、話した相手が今後その人のことをそういう目で見てしまったら、私のせいで不快な思いをする人間が二人も増えることになる、かもしれない。それは嫌だった。(二人というのは、私にとってダメな人と、私がその話をした人。)

まあ名前言ってる時点でダメだろと言われたらそれまでで、それは謝るけれど(ごめんなさい)、名前出しても「なんで?」となったのなら、それ以上言う必要はない。私にはダメならなおさら、私以外の人たちには好かれていてほしい。

 

そんなふうに思って、「なんて言ったらいいんでしょう」「いろいろですね」と、感覚的な女性のふりをして逃げてしまった。

こういうことをするたびに世の中に「感覚的な女性」がいる、と信じる人を増やしてしまうような気がして、胸が罪悪感でピリついた。

本当は気持ちのすべてを言語化できる、けどそれが伝えたい言葉かどうかは別だ、と思って、少し悲しくなった。

 

5月のよく晴れた金曜日。の夕方。

会社近くのベンチに座りながら、上司に、会社を辞めたいと告げた。

 

週末のせいか、月末近くだったせいか、そのいずれも違うのか、社内の会議室がすべて埋まっていて、どうしましょう、お話は来週でも大丈夫なのですが、と伝えると、まさかの「じゃあ外で話そう」「ちょうどコンビニでアイスコーヒー買いたいし」と言われる。

マスコット系かわいいおじさんの上司は、会社を出た段階で、私が話そうとしている内容にすでに気がついていた。訥々と、速やかに、そしてできるだけ穏やかに、話を進めてくれた。

こんな人のもとを去ろうとしているなんて、自分は間違っているんじゃないかと少しだけ思った。

自分の中で業務への面白がり度は上がっていたし、辞めてからの仕事もまだ決まっていない段階で、絶対に今じゃなかった。

絶対に今じゃないけど、絶対に今しかないとも思った。

 

辞めてから11日目。ここまで書いて、この日記のタイトルを見返した。そんなに経っていないけど、後悔はまったくしていない。

今日は夜風が少し涼しくて、とても助かる。