金麦を飲む

無職になったので、日記をつけようと思います。

無職日記 9日目

今日も10時に起きた。

昨日の夜、前職の上司から単発の仕事を持ちかけられた。

前職を辞める際、仕事があったらくださいと、恥も外聞もなく口酸っぱく言っていたら、急に「社長と話をしたと聞きました」「今ちょっと頼みたいことがあって」みたいな連絡が来ていた。社長にそんな話はしていない。


社長にそのような話はしておりませんと、おそらく思い違いである旨を伝えつつ、仕事についてはぜひと答えた。

会社勤めしていた頃よりも、世の中への感謝が深い。と同時に世の中くそだなと思う頻度も高い。


昨夜はスナック勤務だった。

私の職業について「こうあるべきだ」という姿を押し付けてくるマンが二人も来店してさあ大変という心境で、接客しながらどんぐりころころのエンドレスリピートだった。

一人は二回目に会う人で、もう一人は完全に気に入られてしまって毎週来てくれる人だ。ありがたいのだけど、後者の方が、どんぐりころころ度は高い。

ただ昨夜はそれほど大変でなく、なぜか「剛力彩芽さん自身は何も悪くない」という話をした。


先週連日の勤務だった私をママさんが気遣ってくれたのと、まあお客さんが少なかったのとで、少し早めに上がらせてもらった。と言っても12時だけど、それなりにうれしい。


最寄駅に着いて、家に向かう道すがら、ふと気づいた。

会社を辞めてから、男の人の、人間の部分を見ることが少なくなった。

「人間の部分」というのは「男」以外の部分という意味で、生き物らしいかどうかと問われればなんなら真逆の部分かもしれない。男性性があまり関与してこないところ。


会社を辞めてからそうした部分を見ることが少なくなったと言っても、会社で男女を感じる瞬間がないというわけでは全然なく、世間の皆様の感覚同様、むしろ多いとは思う。抑圧もされるし、晒されもするし、前提の部分に根深く存在したりする。

のだけど、仕事に向き合う時、忙しい時や難しい問題にぶち当たって考えている時など、多くの人は男性性も女性性も纏っていない気がする。

とても雑に言えば、わき目もふらず真面目になっている時というのは、男性も女性も、とても人間らしいんじゃないか。


そんなことを考えながら電車に乗ると、アジア系の外国を感じさせる美女が、つり革につかまりながら自撮りしていた。画面の中で微笑む彼女を堂々と盗み見ながら、全然バレないことにドキドキした。

すると私と同じく、画面の彼女を見つめている人がいた。和風の大胆な柄の入ったシャツを着たその人の、腕に大きく入った刺青の文字を読もうと、私はまたも堂々と盗み見した。

彼は自撮りの彼女を見るのに夢中だったので、まじまじと、なんなら見えやすいところに頭を動かしながら読むことができたけど、そこには「薩摩陀」と書いてあって、読めたところで分からんなと思った。思いながらググった。やはり意味は分からなかったので、諦めて、窓の外を眺めた。